松村英一語録

 

歌人松村英一(1889-1981)が生前語った言葉を記します。國民文學「松村英一追悼特集号」(昭和五十七年二月号)に掲載されたものから抄録しました。

つじつま

芸術と呼ばれるものの多くは辻褄の合わないものである

言葉を惜しむ

歌は短いものである。言葉を惜しみ、最も有効にこれを使用しなければならない

技巧

歌には固定した技巧などない。技巧は感動に添って生れるもので、思が突き詰めて来ると飛躍もするし、無理を無理としない場合がある。

新・古(1)

感動が充実すれば新古は自然に解決すると私は信じている。

個性(1)

他からの影響で薄れるような個性なら、それはなきに等しいものだ。

歌の正しい性格

現世の歌の中には舞台に立った役者のように大見得をきっているものがあるが、本来歌はそういう性質のものではないのである。人のためにあるよりは自己のためにあるのが、歌の正しい性格と言えようか。

抽象化

抽象化とは、感動や思考を極めて端的に凝縮した姿をいう。

詩的要素

短詩型の詩的要素として何が重大かと言えば、私は第一に凝縮した精神をあげる。

常識化

おそれるのは鋭い感性を失って常識化することである。

新・古(2)

古いように見えて新しいもの、新しいようであって古いもの、この二つの見極めを冷静にして行きたい。

声調

現今は歌の調子など無視する傾向があるが歌にはそれだけで生きるものがある。

作者の心

歌を理解することは、作者の試のこまやかさを理解することで、これに関心がないとしたら一切の歌からも無縁になる

天職

言葉を大切に扱うのを天職としている。

切実さ

歌として要求されるものは、感情の切実さである。

真実の伝達

おのれの心の皮を剥ぐような態度になって初めて真実が伝えられる。

言葉のあとに

感動に充ち、内面的に表現されたものは、読むに従って言葉が消え、気分が浮き上って来るのである。

抒情

歌は飽迄抒情を本質とするものである。現今の歌に叙事的傾向のものが多いのは、散文接近を意味するもので、これが極度に至れば詩は消滅するより他はない。

単純化

歌は感動をぎりぎりのところにまで絞りあげて、言葉を多く用いずに表現するものであるそれが言うところの単純化である。

新しさ・方法

今の新しさは今だけのものでしかない。私の望んでいるものは、万葉の歌の新しさのごとく永久の生命を持った新しさである。もっと写実を深めてみようではないか。文字で現す詩とあらば、具象を目指すのが当然、問題は常にその方法にある。 

事柄

素材の大将などは勝つで気にしたことがない。対象が交流して感情となる場合、それは作者の生命の武将として大切なもので事柄によって価値が動揺するとは考えていない。

定型(一)

作者の素質に個性的なものがあれば、たとえ伝統に順応しても、それを肉とし血として何かを生み出すだろう。同化を恐れるのは、結局個性が稀薄で素質のないものがすることである。まして短歌は伝統の定型という重荷を背負っている。これを揚棄するのは、まずそれをよく知ってからのことである。

個性(二)

的確な表現をとることもできなくて、個性を論ずるなどは烏滸の沙汰である

声調(二)

歌の性格と特質は一緒に豊潤な声調があって起立する。これを無視して作者の主観を何によって表出しようとするのか。もちろん声調とても固定したものではない。

 

生活感情(一)

事実だけでは歌とはならない。実は何らかの意味で自分の生活感情に結びつかなければならな。この結びつきを吾々は感動と呼んでいる。それは強く深くあってほしい。

孤独感(一)

そぞろ来て心むなしも舗道堂にて新宿の方はかへり見しのみ

 昭和十五年の作で、歌の芯となっているのは「心むなしも」にあるこというまでもない。要するに道行く人の一切が吾に無縁で心の孤独は遂に慰められなかったことを言おうとしたのである。「孤独」などと言う言葉を使わず、孤独感を具体的に現したところに作者は多少自負に似たようなものを持っている。若しこれから湧きあがる作者の哀愁を汲み取ってくれる人があるならば、それは最もよく理解者と言ってよい。